お葬式が苦手

2017/09/07

お葬式がすごい苦手。お焼香の回数もあってるかわからないしそれをしに行く時の歩き方とか手の合わせ方とか全部人と違うのかなという不安が苦手というのもあるし、お葬式の人が悲しんでいるのも苦手。その死んじゃった人の友だちは本当に悲しんでいるんだろうけど1番悲しいのは死んじゃった本人かもしれないし、自分よりもずっと一緒にいた家族の方が悲しいんだから自分がそんなに泣いて悲しくなっても意味は無いことはないんだろうけど本当に悲しい人に失礼じゃないのかな、と思っていつも微妙な泣き方になる。お葬式ってぼや〜としたイメージが瞬間的に切り取られた感じで思い返されるんだけどみんなそうなのかな。それともわたしが非道徳的だからあまり泣けたりしっかり覚えてないのかな。これから生きてく先にわたしより先に亡くなっちゃう人も出てくると思う。ていうか出てくる。今でさえいるんだから。そういうことを考えたらちょっと生きてくの嫌だなって思う。お葬式が嫌いだしなにより知り合いが死んでしまうのが嫌だから。死んじゃった人の友だちがすごく悲しそうに泣いているのが羨ましく思えたりする。死んじゃった人との関わりが浅くて泣いている人は更に羨ましく思う。そんなに簡単に泣けていいな、とかちょっとまた無神経なこと書いちゃったけど本当にそう思う。みんな自分が悲劇に陥ったと思って泣いているんじゃないかなって思ってしまう。本当の悲劇に陥った人は死んじゃった人かもしれないのにね。で、泣いてた割に一週間くらいしたらケロッとしてて、あ〜、みんな強いのか弱いのかわからないな、どういう気持ちなんだろうって思う。わたしは死んじゃった人にずっとじゃないけどたまに思い出して今でも苦しくなって後悔して泣いてしまう。みんなどうなんだろう。

お葬式について書いたから死について書くけど、よくみんなのいう死にたいって何なんだろうな〜って思う。ツイッターにまじやらかしたw死にたいwはそのやらかした出来事が起こった瞬間が死んでほしいんだろうなと思う。自傷行為は死ぬ瞬間に近づくことで生きていけるって思う人がするのかなと思う。

わたしは死が曖昧で怖い。死っていうのは日本語だと し の一文字で片付くし英語でも ダイ っていう二文字で言えちゃう。単純なものほど単純じゃないとわたしは思ってる。死ってそんなに単純じゃないと思う。高校生のときに家族が脳死した人が書いた本を読んだけどそれを読んでから死が難しくなって簡単に言うぶんには言えるから頼っちゃう言葉だけどほんとの死について知るには死ぬ時しかないんだろうなって思う。自分が脳死植物状態になったら延命はしないで欲しいけど、家族が脳死植物状態になったら延命をしてしまうと思う。脳死は体が生きてるんだから体も温かいし、植物状態は体が冷たくても脳は生きてるからその人はまだ何か考えてるかもしれないし、それを続けておきたいなって思う。って思ったけもしわたしが植物状態になっていて脳だけ動いていてずっと考えごとしているのはつらすぎる。どうしたらいいんだろうね。分かんない。その時に任せればいいと思うけど案外時間が無いし死っていうのはすぐ言えるようにもしかしたらすぐ訪れるものかもしれないから、考えておくべきだと思います。必ず生きているものには来るものだから怖いけど考えなきゃ

 

おわり